蜂屋柿がどうしても作りたくて毎年作って来たけれど、今年は初めてまぁまぁな物が出来た。まだまだ納得いかないけど、何せ一年に一度しか経験できないから、反省点は来年に挑戦するしかない。初めて店頭に並べる暴挙!何とも・・実の所ドキドキ。 買って食べて下さった方から、どんな感想なのか率直なお気持ちを聞かせて頂けたら嬉しい。来年も頑張って作りたいので、是非お願いします。
子供の頃
今日は2月とは思えない、風もなくポカポカ陽気でこんな日は縁側で日向ぼっこすると本当に気持ちがよかった。3月になると水が温み田んぼの水溜りではツボ(タニシ)がだんだん大きくなる。バケツを持って田んぼに入り、出来ている窪みの水溜りの、居そうな所を掘ると、ゴロゴロと大小でとれた。何日か水を替えて泥を吐かせ、きれいに洗い、味噌味の汁で煮る。雛祭りが近づくと田舎のご馳走はこのツボ(タニシ)。
それは、柔らかいけど歯ごたえもあり、サザエのソフトな感じだった。(当時はサザエなど食べたことはないから、大人になってから感じる事だけど。)東京の親戚が美味しい美味しいって沢山食べていたのを思い出す。
社会人になって、町の市場でタニシを売っていたので、懐かしくて買った事があった。
食べたら、硬いし、臭いし、とても食べられなかった。町ではこんなまずい物食べてるのかと・・・それ以来買った事は一度もない。
でも、今食べたらどうだろうか、久しぶりに食べてみたい気もする。
今は田舎でもツボ食べるって聞かないなあ。
子供の頃
昨今は、田植えの苗は農家で作らず、田植え機用に箱に入った苗を農協から購入するらしい。昔はまず種から自作だった。去年の籾を種として残し、その種を春になると水につけて、芽が出るのを待つ。まず苗代を作り水につけておいた種を蒔く。やがて芽がでて苗代で大きくなった苗を取って、束にして田植えをする。
ある年、我が家では大失敗をした事があった。
早くに父が亡くなったので、祖父が万事を賄ってくれていたが、その祖父も数年して亡くなった。何もせずに育った母(養女だった)は慣れない百姓をする事になり、今から思い返せば、さぞや難儀した事だろう。
苗代に籾を蒔いてから、上に油紙みたいなのをかぶせるんだけど、その年は風の強い年だったのか、紙がはがれて、隣の苗代の餅米の種がうるち米の種と混ざってしまい、それを知らずに(苗では餅かうるちか判らない)普通に田植えをして、苗は大きくなり稲刈り時期になった。流石にそのころになれば区別がつくが、もう手遅れ・・どころか取返しがつかない。
米は自家消費分だけ残して農協で品質検査を受け買って貰う。もちろん余分に残して、ヤミ米として売る。所が我が家のその年のコメは餅とうるちが混ざってしまい、等級が貰えず等外となり、最安値だった。
所が良い事もあるもんで、餅米が混ざったので、その米は美味しいコメとなり、ヤミ米屋さんが「あんたんとこのコメは評判がいい」そう言ってよく買ってくれた。
今のように美味しい品種が一杯ある訳じゃないので、その頃はそれで充分美味しかったかもしれない。翌年からは混ざらないように、ちゃんと作った。