干し柿

蜂屋柿がどうしても作りたくて毎年作って来たけれど、今年は初めてまぁまぁな物が出来た。まだまだ納得いかないけど、何せ一年に一度しか経験できないから、反省点は来年に挑戦するしかない。初めて店頭に並べる暴挙!何とも・・実の所ドキドキ。 買って食べて下さった方から、どんな感想なのか率直なお気持ちを聞かせて頂けたら嬉しい。来年も頑張って作りたいので、是非お願いします。

子供の頃

昨今は、田植えの苗は農家で作らず、田植え機用に箱に入った苗を農協から購入するらしい。昔はまず種から自作だった。去年の籾を種として残し、その種を春になると水につけて、芽が出るのを待つ。まず苗代を作り水につけておいた種を蒔く。やがて芽がでて苗代で大きくなった苗を取って、束にして田植えをする。

ある年、我が家では大失敗をした事があった。

早くに父が亡くなったので、祖父が万事を賄ってくれていたが、その祖父も数年して亡くなった。何もせずに育った母(養女だった)は慣れない百姓をする事になり、今から思い返せば、さぞや難儀した事だろう。

苗代に籾を蒔いてから、上に油紙みたいなのをかぶせるんだけど、その年は風の強い年だったのか、紙がはがれて、隣の苗代の餅米の種がうるち米の種と混ざってしまい、それを知らずに(苗では餅かうるちか判らない)普通に田植えをして、苗は大きくなり稲刈り時期になった。流石にそのころになれば区別がつくが、もう手遅れ・・どころか取返しがつかない。

米は自家消費分だけ残して農協で品質検査を受け買って貰う。もちろん余分に残して、ヤミ米として売る。所が我が家のその年のコメは餅とうるちが混ざってしまい、等級が貰えず等外となり、最安値だった。

所が良い事もあるもんで、餅米が混ざったので、その米は美味しいコメとなり、ヤミ米屋さんが「あんたんとこのコメは評判がいい」そう言ってよく買ってくれた。

今のように美味しい品種が一杯ある訳じゃないので、その頃はそれで充分美味しかったかもしれない。翌年からは混ざらないように、ちゃんと作った。

干し柿

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 今年の柿は本当に美味しい。暖かい部屋に置いたら、粉は消えちゃったけど。

見た目も美味しそうなので、写真を撮ってみた。

私は羊羹が好きで、虎屋の夜の梅、美濃忠の小倉など大好き。

でもこの自分作も中々の味です。負けてないよ。だって砂糖使って無いのにこの甘さ。

あああああ美味しい! なんて手前みそ!

子供の頃

昨今の農業は機械化で、人間の手で田植えや稲刈りをする事が無くなった。田舎の甥っ子もとても百姓の手とは思えない、舞踊家のような綺麗な手をしている。

田植えは懐かしい思い出の一つ。泥田で姉とふざけて、転んで泥んこになったり、田植えの苗を欲しい人の所へうまく投げたり、手伝っているようで、子供は遊びだった。

苗を欲しい人の所へ投げる時、ちゃんと苗の束が立つように投げるんだけど、あれって結構、力加減や放り方が難しい。ただ投げるだけだと苗の束がぐしゃぐしゃになる。欲しい人の手が届く所へ上から落ちていくように投げると苗が立つので、ある程度高さをつけて投げるんだけど、今の子供は果たして上手に投げれるのかなあ。

百姓仕事って、色々手伝いしながら、要領のような事が自然に体に染みついていて、この歳になっても、それはまだ身についたまま。鎌や鍬なんか、テレビや映画の俳優さんの使い方見てると、余りの下手さに笑っちゃう時ある。私の方がよっぽど上手だわ。

何せ腰の使い方が下手。スポーツも腰、農業も腰。これって基本。

子供の頃

去年だったか、テレビで北朝鮮の農村を流していた。やせ細って骨がごつごつしてみじめな牛に鋤を牽かせていた。60年位前の私の子供の頃の風景だった。懐かしく思い出した。我が家の牛はもっと肥えていたから丸々していた。私は鋤を牽く牛の背中にまたがり、両手は左右の牛の角を握り、金太郎の気分を味わっていた。ちょっと怖いけど、中々楽しかった。牛は雄だけど、去勢してあって、力は有るけどおとなしく、子供でも牛の世話が出来た。

あの昔の忘れかけていた風景、それが北朝鮮ではまだそのままなのに、びっくりした。

核ミサイルとか開発したり、平壌の映像だと、結構欧米並みなのに、農村は60年前。

そのギャップが流石にあの国らしい。緯度で見ると北海道より、下だから暖かいと思いきや、大陸の気候の影響で、はるかに寒いらしい。さぞ暮らしにくい国のよう。

時代は早い、60年後とは言わない迄も早く暮らしやすい国に成って欲しい。

 

帯状疱疹が中々治らない。

11日から14迄志賀高原へのスキーをドタキャンしたけど、今日14日になってもまだ痛いと言う事はやめて正解だった。ほんの少しづつだけど、良くなってきてはいる。

20日迄には治りたい。